2016年3月11日金曜日

あの日から5年。


2011年3月11日お昼過ぎ。

今からちょうど5年前の僕(ひーせ)は、翌月に控えた前の就職先の書類を作成するために

海の市向かいにあったアンカーコーヒー(当時)にいました。


(画面中央の空き地に当時ありました。)


その日は何やら上の階が騒がしく、一階のカウンターでコーヒーを注文したあと、

上の階へあがっていったら、

「サンドウィッチマン」の2人が番組取材のロケをしており、

驚いた僕は少し離れた場所で作業をしてました。


40分後くらいかな、撮影が終わりスタッフ達が店を後にして、

僕もキリの良い所で帰ろうとした時に、突如大きな揺れが起こりました。

よく学校での避難訓練だと、「ドアや窓を開けて揺れが収まるまで机の下に隠れる」ことを

言いますが、

揺れがあまりに長く、建物自体が壊れてしまうのではと感じ、外へ逃げました。


揺れが収まり、少し冷静になった所で次に頭をよぎったのが「津波」でした。

正直あの高さの津波が来るとは思いもしませんでした。


その日の僕は安波山の麓にある祖母の家にて避難をしてました。

テレビは付かず、携帯電話の電波も入りづらく、ラジオだけが唯一の情報源だったこと。

夕方ころに雪が降ったこと。

夜の明かりが星空と遠くに見える火災のみだったこと。


祖母の「戦争のようだなぁ」の一言を今も覚えています。



震災発生から数日間は、自転車で市内を走りまわり、

携帯電話で可能なかぎり写真を撮ってました。

(エースポート付近)
 
(鹿折コの字岸壁付近)

(八日町)
(気仙沼駅前観光案内所)
(新町 友の湯)
(岩月付近)

(海の市)

 
 
 
 
避難所に届けられた支援物資の運び出しや仕分け作業のボランティアを行ったり、


同級生の浸水したお店の泥かき作業をしたりと、

とにかく自分の出来る事を精一杯活動してました。
 






2016年3月9日―。

当時泥かきを一緒に行った同級生が久しぶりに気仙沼へ戻ってきたので、

一緒に作業したメンバーであつまりご飯を食べました。

震災の話題は特に出ず、お互いの共通の趣味の話をしたり、

ご飯を食べ、ボーリングをしたりと、有意義な時間を過ごすことが出来ました。





5年が過ぎ、街は復興に向けて進んでいます。

いろんな物が変わったかもしれないけれど、少しずつ暮らしは戻りつつあるのかなと感じてます。



確実にできることからやっていく。

復興の前進になり、自信にもつながるから。


「忙しくならない」こと。

そして、「忘れない」こと。

それは両方とも「心」を亡くしてしまうから…



5年前の震災で亡くなられた、すべての方のご冥福をお祈り致します。


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