2014年6月23日月曜日

第9代横綱・秀ノ山雷五郎の墓は一関にもあった

はっしーです。

灯台もと暗しとはこのことでした。第9代横綱秀ノ山雷五郎(1808-1862)の墓が一関市釣山の願成寺(がんじょうじ)にあったのです(写真・上)。盛岡の南部藩の抱え力士であったため、分骨されたらしいです。墓石の高さは90センチ、「雷耀院秀山鼎碎居士」と刻んであります。

気仙沼市階上出身で小兵力士(163.6cm)でしたが、幕内成績112勝21敗の好成績をあげました。優勝相当成績6回。

56歳で死去しましたが、墓は東京都江東区の普門院と、一関市の願成寺(写真・上)の2カ所に存在します。先日、墓石を写真に納めてきました。寺の入り口には、見事な楼門(写真・下)があり、その両脇には仁王像2体が立っていました。


地元階上の岩井崎の潮吹き岩前の秀ノ山の銅像(写真・下)が東日本大震災の大津波に飲まれましたが奇跡的に流出しなかったことで有名になりました。まさに行司の言葉ではないのですが、「残った、のこった」と言うわけです。


気仙沼では、根強い相撲人気が続いており、市総合体育館の一角には、このほど土俵が完成し、近いうちに横綱を含めた角界の有志を招き、お披露目式があるのではないかと期待しているところです。



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